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穏やかな終末(試し読み版)

by 三世留男

本作はエピソード3です。各エピソードは出版順に4、1、2、5、3、6とお読みいただけると、より一層お楽しみいただけると思います。

 一.火星の悲しみ

   木村の慟哭

 何やら大声を上げている一人の大男が、駆け寄っていった警備員を突然投げ飛ばした。警備員は竜巻に巻き込まれたように宙を飛び固い床に叩きつけられた。自動車が衝突したような金属音が天井の高いフロアに響く。警備員はそのまま動かなくなった。

 広いフロアを見回すと同じように倒れている警備員の姿が二十人余りもいる。誰もピクリとも動かない。

 その大男を同じいでたちの警備員が取り囲んでいる。しかし、誰も手を出せずにいる。その表情は強張ったままだ。良く見ると、警備員の身体はダークグレーの金属製で、表情は強張っているのではなくマネキンのようにほとんど無表情だった。つまり取り囲んでいる警備員はフロンテッジ3型アンドロイドだった。

 大男は顔を真っ赤に上気させ、目つきは常軌を逸しているほど充血し、猛獣が今にも飛び掛からんばかりに辺りを睥睨《へいげい》している。まるで地獄からこの世に召喚された赤鬼のようだ。

 大男が飛び掛からんとしている警備アンドロイドたちは火星の出国カウンターの前にいた。大男は、警備アンドロイドがスクラムを組んで守る出国カウンターに向かって叫ぶ。

「おれを、ここから出せー!」

 鬼の口から飛び出した咆哮《ほうこう》はフロア内の空気をびりびりと破って広がっていく。その振動は、離れたところで心配そうに成り行きを見守っていた空港職員たちの背筋を恐怖に震わせる。

 大男は出国カウンターを突破しようとしたところを警備アンドロイドに止められ激昂したのだった。大男は何度も出国カウンターに突っ込み、警備アンドロイドはそれをなんとか阻止していた。

 野次馬の空港職員の中に、白いスーツの上下をまとった背の高い成熟した女性がいた。彼女は腕組みをしたまま、隣にいるいかにも優秀そうな雰囲気の若い男性にささやいた。

「データは全部とれてる?」

 若い男性はメガネを直しながら手に持ったタブレット端末を覗き込む。

「ええチーフ、完ぺきに取れています。――それにしてもすごいですね」

 若い男性はほれぼれとした目で大男を見直すと、白い女性――チーフも目じりに小じわを作って微笑んだ

「これが本気を出した金メダリストってわけね。警備アンドロイドも一応武術学習をしてあるのに全く歯が立たないなんて」

「以前に道場でデータを取ったときとは比べ物になりませんね。――おっと、端末の容量が不足しそうです。前回のデータは削除しますか?」

「そうしてくれる」「わかりました」

 若い男性はニヤリと頬を上げてタブレットを操作した。チーフはそれをチラリと横目で確認してすぐに大男に目を戻す。そして「想像以上ね」と言って眉を寄せた。

 大男は虎が威嚇するような雄たけびを上げた。そして再度出国カウンターに突っ込んでいく。今度は警備アンドロイド四人のスクラムが相手だ。

 頭からぶつかる。金属を鈍器でつぶすような低い音が響く。大男の頭突きに一体が弾き飛ばされる。その脇の二体は、それにひるむことなく大男の身体に抱きついて制止しようとする。しかし大男の動きは止まらない。絡めてきた腕を振りほどきながら、一体の制服の乱暴につかんで横に引っ張る。同時にその足を払う。支えつり込み足。警備アンドロイドはきれいに宙で一回転して床に転がる。もう二体は大男の背中から二体掛かりで乗りかかってくる。大男は圧し潰されそうになりながらも、片方ずつの手で二体の制服の襟を掴んだ。そして身体を前方に倒しながら背中を丸める。二体は大男の背中に乗って一回転する。二体を一緒に背負い投げた。床に背中を叩きつけられるとボディ内の内臓物が派手に壊れる音が響いた。

 あっという間に四体を片付けた大男は、荒く息を付きながら出国カウンターに歩み寄る。

「いけない!」

 チーフは大声を上げた。出国カウンターにはもう妨《さまた》げる警備アンドロイドの姿はない。しかし野次馬の空港職員の中から大男を制止しようとする者もいない。

 そのとき、遠くの方から駆けつけてくる慌ただしい足音がフロアに響いてきた。そして、空港職員の間を押しのけるように、かすれただみ声が飛び込んできた。

――木村!

 そのだみ声は大男の鼓膜を震わせた。大男の正体は木村剛士。火星オリンピック柔道無差別級金メダリストである。木村は鬼の形相を声の主に向けた。

 野次馬がだみ声の前を開けた。そこに現れたのはスーツ姿の強面の面々だった。先頭に立っているのは、顔に刻まれた深いしわが老年を表しているだみ声の主。その後ろには木村と同じくらい体格の良い短髪の男たちが数人が立っていた。

「間に合ったわね。牛熊監督」

 チーフは少しほっとしたようにつぶやいた。

 だみ声の主は牛熊監督。木村の柔道の師である。

「止めないでください!」

 そう叫ぶ木村は、頬を大きく歪め悲愴な表情に変わっていた。牛熊は眉間に強くしわを作って木村の表情を伺っている。そして低い声で威嚇するように言葉を投げつける。

「そこを出ても地球には戻れんぞ」

 チーフも牛熊の隣まで歩み寄っていた。

「そうよ木村くん。その先の出口にはシャトルはいない。このドームからただ出られるだけよ。そして生身のまま外に出たら死んでしまうわ」

 チーフは牛熊と違ってやさしく声を掛けた。しかし木村はうつむきがちに二人から顔を背けた。

「それでも、おれは!」

 そう言って出国カウンターに近づいていく。その様子に、牛熊が瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にした。

「貴様! ワシの言うことを聞かんか!」

 そのまま木村に飛び込んでいく。老年とは思えないその気魄《きはく》と俊敏な動きに、木村もとっさに牛熊に向いて臨戦態勢をとった。木村も牛熊も同じように向かい合った。一メートル九十センチもある木村に対し、牛熊はかなり背が低い。しかし横幅は木村に負けていない。見るからに安定感のある体格である。牛熊はその体躯を活かし間髪入れずに木村の懐に飛び込んでいく。組み手争いをしようとする木村に対し身体全体をぶつけていく牛熊。つかまえようとする木村の懐で、小柄な体がフッと消えた。木村の視界から牛熊が忽然と消えた。

 次の瞬間、ずしーんという地響きと同時に木村の瞳には高い天井の梁が映っていた。

 木村はフロアの固い床の上に大の字になっていた。床で背中を打った衝撃がようやく木村の脳髄に伝わってくる。そして牛熊のどうだと言わんばかりの得意げな顔が木村の視界に入ってきた。

 チーフの横にいた若い男性は、タブレット端末を落したことに気付かず、口をあんぐりと開けていた。

「あのじいさん、金メダリストを投げちゃったよ……」

 しーんと静まり返るフロアに、そのつぶやきが伝搬していく。そこかしこからひそひそと話し声が聞こえ始めた。その中でチーフは一人、感嘆のため息をついていた。

「あれが牛熊監督の消える背負い――」

 その一方で、チーフの近くに立っていた短髪の男たちの一人が「木村め、油断したな」と、ギリッと歯ぎしりをしていた。

 木村は床の上で仰向けになったまま立ち上がろうとしない。太い二の腕で目の上を覆っている。口をへの字に歪め、肩を震わせている。それを見下ろしている牛熊も、先ほどまで上気させていた表情をくしゃくしゃに歪めていた。

「木村よ、気持ちはわかる。すぐにでも地球に戻りたいという気持ちはワシも同じだ。火星にいる人たちは全員そういう気持ちのはずだ。みんな家族を地球に残したままなんだよ。だが、今地球に戻ってどうする? 地球は放射能まみれでどうなっているのかもまだわからんのだ。貴様がどれだけ強かろうと生身の人間だ。犬死するだけだ」

 牛熊は、だみ声をときに涙声に変えながら、横たわる木村に話しかけた。木村はまだ肩を震わせたまま動かない。ようやく絞り出すように声を出す。

「しかし、自分は――――このままではまたボディーガード失格になって……」

 最後まで言葉が続かない。

 牛熊はスーツの袖で目をごしごしとこすった。そして赤くなった眼にグッと力を込めた。

「立てッ! 木村! 稽古だ! その性根を叩き直してやる」

 突然の大声に、フロアにピリッとした緊張が広がった。その中で、牛熊の後ろから数人の男たちが木村の周りに集まり、乱暴に木村を立ち上がらせた。そのうちの短髪の男が、瞼を腫らした木村の顔を見つめながら声を掛ける。

「木村、忘れろ。地球のことは忘れるんだ。おれたちにはもう火星しかないんだ。忘れろ」

 木村はうつむいたまま力なく頷いた。しかしすぐに思い直したように首を横に振る。今度は別の男が木村の横から声を掛ける。「忘れろ」 木村は小さく首を振る。別の男 「忘れるんだ」 首を振る。木村は屈強な男たちに囲まれながら、先導する牛熊についていく。力なく首を振りながら。

 フロアにいた職員たちは、その後姿《うしろすがた》を黙って見送っていた。

   警備技術室

 ガラス張りの部屋には白い服を着た女性―ー出国カウンターでチーフと呼ばれていた三十代後半の女性が一人、書類を広げたデスクに向かって難しい顔をしていた。部屋の入口扉――これも透明だ――には、警備技術室室長の札がぶら下がっている。そして彼女のデスクには『セイラ・マックイーン』の名札が置かれていた。彼女――セイラは書類を並べてトントンと整理しながらも、こころここにあらずといった様子でその緑の瞳は書類の向こう側に焦点を合わせていた。

 そのときノックの音が聞こえてきた。セイラは焦点を音の聞こえた透明扉に合わせた。そこには若い男性――出国カウンターでチーフと一緒に木村のデータを取っていた男性がニコッと微笑んでいた。セイラは難しい顔のまま手招きした。男性は軽く会釈してガチャリと入ってきた。

「失礼します、チーフ」「なに? ヴァレオ」「先日の木村選手のデータを加工してチーフの端末と共有しておきましたので、そのご連絡です」「そう、ありがと」「それと一応、ご説明をと思いまして」「――なにか問題でも?」

 細い眉を片方だけ吊り上げたセイラはデスクの前で立っているヴァレオを横目で見た。ヴァレオは片側の唇を歪めて苦笑いをしている。セイラは眉を寄せてその表情を見上げた。

「木村選手の戦闘データなんですが、肉体的な数値が常人をはるかに超えておりまして――フロンテッジ3型に適用することができませんでした」

「え?」とセイラは眉を上げて聞き返した。ヴァレオは少し笑いながら説明を続ける。

「試しに警備アンドロイド一体に木村選手のデータを学習させました。そして従来の警備アンドロイドと戦闘をさせたところ、あっという間に組み伏せたのですが上腕と腰の人工筋肉が破断してしまいました」

 ヴァレオは「すごいでしょう」と言いながらクスクスと笑った。

「笑い事じゃないわよ! それじゃ使い物にならないってことじゃない。フロンテッジ3型で使えないってことは6型でも使えないってことよ」

 セイラは細い眉を寄せて、にやけるヴァレオをにらんだ。ヴァレオは両手を小さく上げて大げさに怖がってみせる。

「チーフ、小じわが余計に増えますよ」「うるさいわね! ――――仕方ない。その前のデータを使うしかないか」「残念ですが、ありません」「は?」「前回、道場で採取したデータは削除してしまいました」「どうして!?」「出国カウンターでのデータ採取は急なことでしたので、タブレット端末の容量確保のため削除しました」「そんな⁉」「チーフにも確認しましたよ?」「う――」

 セイラは言葉につまった。そして大きなため息をつく。

「わかった。もう一度データを取らないといけないってことね。ヴァレオ、木村くんにコンタクトを取ってくれる?」

「そうおっしゃると思って連絡済みです」「さすが、気が利くわね」「ただ――」「なによ?」「木村選手はあれから入院しているようです」「まさか?」「寝込んでいるようですよ」

 セイラは目を丸くして、椅子の背もたれをギシギシと鳴らした。「あんなに健康だったのに?」

 一方ヴァレオの表情は真剣になっている。

「どうやら精神的なものらしいですね。相当参っているようで、信じられないくらい衰弱しているようですよ」

 セイラも眉根を上げて天井を見上げた。「そう――」

 部屋の中は沈黙し、セイラが座る椅子のきしむ音が大きく聞こえる。セイラは天井を仰いだまま尋ねる。

「木村くん、何を悩んでいるのかしらね?」

 先ほどまでの明るい顔が一転して、うつむき加減のヴァレオの表情は暗い。

「きっとみんなと同じです。地球に残してきた家族や恋人のことでしょう」

「――やっぱり、そうかな?」

 セイラは椅子の背もたれから身体を起こし、デスクに肘をついた。そして、目の前でうつむくヴァレオを見つめた。ヴァレオは蚊の羽音のような声でつぶやく。

「チーフも同じではないですか? ご主人を地球に残してきているのでしょう?」

 セイラは長く大きいため息をつく。

「――――わたしはもうあきらめたわ。リカルドももう生きていないでしょ。さっさと忘れないと、気が滅入るだけだし」

「わたしも先日まではそう思うようにしていました……ですが」

 ヴァレオは言葉を切って唇を噛んだ。

「ですが、あのニュース……」

 セイラはもう一度ため息をついて、大げさに肩をすくめてみせた。

「わたしも見たけど――」

 半年前、地球は全面核戦争によって壊滅していた。火星オリンピックの閉幕を待っていたように米国が核ミサイルを発射した。その核ミサイルに各地の防衛システムが過剰反応し、反撃のため核ミサイルを次々と発射した。核ミサイルは核ミサイルを呼んだ。火星にいた人々は、地球の各都市に次々と雨のように落とされる核ミサイルをただ見ていることしかできなかった。そして地球はわずか一日で壊滅状態になったのだ。全てが破壊つくされ、火星のデータ収集センターにも地球の情報は一切入らなくなった。地球の生物――人間も含む全て――は絶滅したと考えられた。

 すぐに、状況調査のために無人シャトルが地球に向かった。生存者がいると信じてありったけの物資を積んで飛んだ。しかし、地球に到着したシャトルから送られてきた上空からの映像を見た火星の人々は再度絶望した。地球の空は灰色の厚い雲で覆われ、地上には光が一切なかった。海は茶色に汚れ、かつての青い星の面影はなくなっていた。

 そして地球に着陸したシャトルからはそれ以上の映像は送られてこなかった。強い放射能による電子回路の故障ではないかと考えられた。対策を施したシャトルがその後も地球に向かったが、同じように故障したのか、地上の情報は得られることはなかった。

 火星の人々にはあきらめの雰囲気が広がっていた。地球にはもう誰も生きていないのだと。

 そんなときだった。

緊急ニュース『地球に生存者がいるのか?』

「番組の途中ですがニュース速報をお伝えします」

 スタッフが慌ただしく動き回るスタジオで、女性アナウンサーが髪を撫でつけながらカメラをにらみつけてニュースを伝え始めた。スタジオ内は怒号が飛び交い、それに負けじとアナウンサーの声も大きくなる。

「地球の生存者からと思われる通信が届きました。繰り返します。地球の生存者とからと思われる音声通信が届きました」

 女性アナウンサーは時折金切り声になりながらカメラの向こう側にいる視聴者に訴えかけた。

「まずはその音声をお聞きください」

 スタジオが静まり返る。そして同時に火星中も静まる。街行く人々も足を止め、手元のタブレット端末を固唾を飲んで見つめている。賑やかだった火星が、死んだように静まった。

 静けさの中、かすれて消え入りそうな男性の声が響く。

――助けてくれ……

 その声をかき消すように聞こえてきたのは、ガタガタと床を鳴らす複数の足音。それに気付いたのか、男性の小さな悲鳴とマイクをつぶしたようなノイズが入る。続いて激しい足音とともに何かを倒したようなけたたましい音が響いた。そして砂袋を落したような鈍い音がして、音声は途切れた。

 カメラをにらみつけたままの女性アナウンサーの隣に、ぼさぼさ頭によれたスーツを着た男性が入ってくる。目の下に大きなクマをつくり、寝ていないことが一目でわかる。女性アナウンサーは険しい表情を崩さないまま、隣に立った男性に会釈して紹介する。

「当番組のプロデューサーに来ていただきました」

 プロデューサーも頭を下げた。

「この音声について教えてください」

 プロデューサーは「はい」と頷く。その表情は真剣だ。

「この音声データは、一昨日匿名で当番組あてに届きました。データの解析により、火星から地球に向かった無人シャトルから送られてきた音声データということがわかりました。われわれはことは重大と判断し、すぐに警察に届けました。その後、警察の技術チームと協力してこの音声データの解析を進めてきました。また、並行して誰が当番組に送ってきたのかネットワーク上を追跡しましたが、残念ながら出どころはわかっておりません」

「つまり、この音声データは偽物の可能性もあると?」

 プロデューサーは首を振る。

「いえ、本物に間違いはありません。データのヘッダーにシャトルの個体識別コードがスクランブルされていました。これは偽造不可能です」

 女性アナウンサーはますます表情をこわばらせる。

「それではこの音声に残された男性は確実に地球にいたということですね」

「ええ、生きていたと考えられます」

「生きていた?」

 プロデューサーは無言で頷いた。女性アナウンサーは何が起こったのか察して表情を凍らせた。プロデューサーは後ろで作業している男性スタッフに振り向いて、なにやら指示を出す。そしてカメラに向き直って視聴者に語る。

「これからお送りする映像は、音声データを解析した結果、現地で起こっていたことを再現したものになります。ショッキングな内容が含まれますが、われわれはこれを放送する義務があると考えています。ご了承ください」

 画面が切り替わり二人が消えた。代わりに画面上に現れたのは、シャトルの無人コックピットの様子である。

 そこに周囲を伺いながら入ってきた男性。男性の顔にはモザイクが掛けられている。男性の隣の空間に文字が浮かぶ。「――身元不明のためモザイクを掛けています」

 モザイク越しにも明らかにやつれた表情をしていることがわかる。そして足元がおぼつかないのか、誰も座っていないシートに身体をぶつけ、ふらふらとよろけている。

 男性はそのままコックピット先端まで歩み寄り、目の前の計器盤をでたらめに触り始めた。計器盤のランプが明滅する。そしてコックピット内に無機質な声が響く。「コードをどうぞ」 男性はその声の聞こえたほうに顔を上げた。そしてかすかに口を動かす。「助けてくれ……」

 言い終わるのを待っていたようにコックピットの外から大きな足音をさせて男三人が侵入してきた。三人ともモザイクが掛かっている。横の空間には――身元不明との文字表示が浮かび、男たちに文字がついてまわる。

 男たちはガタガタと乱暴に男性に近づく。その動きはまるでゾンビのように無機質だ。男性は怯えたように振り向いて小さな悲鳴を上げた。そして近づいてくる三人の男から逃げようと身をよじった。その拍子に躓《つまづ》き、音を立てて床に転がる。痛みをこらえながら男性は三人から離れようと這いずる。しかし三人は男性に覆いかぶさるように襲い掛かった。一人の手には鈍いシルバー色の金属――おそらく鉄パイプが握られていた。一人がその棒を大きく振りかぶった。他の二人は逃げようとよがる男性をうつ伏せに押さえつける。力なくもがく男性。その後頭部に鉄の棒が振り下ろされた。

――ドスッ

 砂袋を落したような音が響き、男性の頭から鮮血が飛び散った。そして見る見るうちに床に赤い血が広がる。その血の海の中で男性の身体はピクピクと痙攣《けいれん》していたが、すぐに動かなくなった。

 男たちはそれを見届けるまでもなく、すでにコックピットからいなくなっていた。

 画面が元のスタジオに戻ってきた。

 先ほどまで騒がしかったのがうそのようにシーンとしている。女性アナウンサーは顔面蒼白で表情がない。瞬《まばた》きもしていない。隣のプロデューサーも険しい顔のまま黙ったままだ。

 女性アナウンサーはごくりと息を呑んだ。それは視聴者にも聞こえた。ようやく口を開く。

「――これが地球で起こったこと……いつのことでしょうか?」

 声が震えていた。プロデューサーは頷いて短く答える。

「二週間前に地球に到着した最新のシャトルからの通信でした」

 お通夜のように静かなスタジオでは誰も身動きしていなかった。

   迫る

 その扉はドカンと爆発したように派手に開いた。分厚く重厚な木製扉は、その勢いで取り付けられた蝶番《ちょうつがい》をもぎ取らんばかりに壁に叩きつけられた。

 部屋の中央にある大きいデスクで電子ペーパーを読んでいたバーコード頭の男性は、目を丸くして扉を開けた主に顔を向けた。

「なんだね、一体」

 扉の前で腰に手を当て仁王立ちしているのは、警備技術室室長セイラ・マックイーン。

「局長、お話があります」

 セイラが叩き開けたしつらえの良い木製扉には、警備局長室と書かれたプレートがはめ込まれていた。そしてデスクの上には、デイヴ・リチャードというネームプレートが置かれていた。バーコード頭――デイヴはその頭を斜に構えてセイラをギロリと見た。「なんだね、セイラ」ともう一度ぶつぶつ言った。

「わたしを地球に送ってください」

 突然の申し出にデイヴはのけぞった。驚きの表情で声を張り上げる。

「無理だ! 地球は放射能で死の星となっていることは知っているだろう。火星政府は有人シャトルを送ることを認めていない」「そんなことはわかっています」「ならなぜ?」

 セイラはツカツカとデイヴのデスクまで歩み寄った。デイヴは驚いた様子で口をだらしなく開け、眉間にしわを寄せたセイラの顔を見上げた。セイラは、ダメ押しするようにデスクに両手をドンと付き、デイヴに顔を寄せた。デイヴはその迫力に椅子を後ずさりさせた。

「柔道金メダリストの木村選手が寝込んでいるそうです」「?」「警備アンドロイドの性能向上のためには木村選手の協力が不可欠です」「地球に行くのに木村が関係あるのか?」「木村選手は地球に大事な人を残しているようです」「だから関係あるのか?」

 セイラははき捨てるようにつぶやく。「――わからない人ね!」

 デイヴはセイラの剣幕におどおどとしながら部屋の中を見回している。何かを探しているようだ。セイラはデイヴの様子はお構いなしに続ける。

「だ・か・ら! 木村くんが地球に行けば、その気持ちも晴れてまた協力してもらえるってこと。でも一人で行かせるわけにはいかないから、わたしが一緒についていくんです!」

 デイヴは大きく息をついて首を振った。

「――それは無理だぞ。あのニュースが流れてからそういう申し出が続出しているのも知っているだろ。誰もが死んでもいいから地球に行きたいと思っている。だが火星政府は一切許可を出していない」

「ならなんであんなニュースを流すことを許可したんですか⁉」

「それも火星政府だ。われわれ警察は公開について一切知らされていないかった」

「そんなばかな……」

「本当だ。放送前に内容を知っていたのは、火星警察の上層部と技術チームだけのようだ。わたしもニュースで初めて知ったくらいだ」

 セイラはうなだれていた。デイヴは立ち上がり、後ろ手に組んでセイラの横に静かに立った。

「もし地球に行けたとしても、きみが行く必要はないだろう。もっと適任がいるはずだ」

 セイラは下を向いたまま首を振る。

「こんな任務を部下に任せるわけにはいきません。それに――――わたしも地球に行きたい理由はありますから」

「――リカルドのことか? 残念だが……」

「わたしもあきらめていました――あのニュースを見るまでは。あのニュースで、もしかしたら生きているかもしれない、しかもひどい状況なのかもしれないとわかってしまったんです。あのニュースを見てからずっと気持ちを抑えつけてきましたが、もう限界です。わたしを地球に送ってください。局長権限ならなんとかなるはずです」

 セイラは滲《にじ》んだ緑の瞳をデイヴに向けた。デイヴはばつが悪そうに顔を背ける。

「すまん。無理だ。わたしにはそんな権限はない」

 そう言って後ろを向き、ブラインドに隠された窓の外を覗くふりをした。セイラはがっかりしたように大きく息をついた。

「――わかりました。無理を言って申し訳ありませんでした」

 セイラはデイヴのほうはもう見ずに、踵を返して扉の外に出た。デイヴは眉根を上げて、気丈に背筋を伸ばしたセイラの後姿を見送っていた。

   渡航許可

 次の日。

 デイヴが警備技術室にやってきた。警備技術室は小所帯で、チーフのセイラを筆頭に、ヴァレオと数人の技術スタッフ、そして秘書が一人いるだけだ。

 セイラは自分の部屋のデスクにいた。頬杖をつき、目の前に置かれた電子ペーパーを読んでいた。いや、目は書類の向こう側に焦点を合わせて、ボーっと何か思い耽《ふけ》っていた。

 秘書の女性がセイラを呼びに立ち上がろうとしたが、デイヴはそれを制止し、代わりにヴァレオに向かって手招きした。ヴァレオは何事かと首を傾げて立ち上がる。そしてセイラを一瞥したが、彼女はデイヴには気付いていないようだ。デイヴは来いと手を振ってヴァレオを連れ出した。

 デイヴは黙ったまま廊下をてくてくと歩いていく。バーコード頭からのぞく頭皮は滲む汗でテカリと光っている。その後ろから、不審そうに表情を歪めるヴァレオが付いていく。

 デイヴはあるところで立ち止まった。トイレの前だ。そして男女兼用の個室トイレの扉を開けて言った。「入れ」

 ヴァレオはわけがわからないというように眉を上げた。

「あの――連れションするならそこの男子トイレがありますが……」「ここがいいんだ。二人入れるからな」「――いや、すみません、わたしはそっちの趣味はありませんので!」「いいから入れ! これは局長命令だ」

 逃げようと後ずさるヴァレオの腕を、デイヴがガシッと捕まえた。ヴァレオは顔面蒼白となってもがくが、デイヴに引きずられるように個室に連れ込まれてしまった。「助け……」というヴァレオの叫びは、扉が閉まると全く聞こえなくなった。

 その様子を廊下を歩いていた数人が目撃。目を丸くして閉まった扉を凝視していた。

――数分後、

 個室トイレの近くで眉を寄せてヒソヒソと話している女性たちは、突然開いた扉にビクッと振り向いた。出てきたのは、憑《つ》き物が落ちたようにすっきりとした表情のヴァレオと、笑みを浮かべるデイヴだった。

「頼んだぞ」とデイヴはヴァレオの肩を叩いた。ヴァレオは力強く頷いた。

――トントン

「どうぞ」

 室長室の扉を開けて入ってきたのは、A4封筒を大事そうに抱えたヴァレオだった。セイラは、にやけたヴァレオの笑顔を見上げた。

「なに?」「昨日、局長室に怒鳴り込んだそうで?」「……あんのバーコード、しゃべったわね」「大丈夫ですよ、わたししか知りませんから」「――で、そんなことを言いに来たの?」「いえ、重要なお話があるのでちょっとこちらに」

 ヴァレオはそう言って、セイラを部屋から連れ出した。セイラは細い眉をしかめながらも黙ってヴァレオについていく。

 ヴァレオは時折笑顔で振り向きながらセイラを伴って廊下を進む。セイラも首を傾げながらついていく。

 そしてヴァレオはあるところで立ち止まった。男女兼用の個室トイレの前だ。

「入ってください」

 そう言って扉を開けた。目の前にはきれいに清掃された個室トイレがある。セイラは、となりでどうぞと手を差し出しているヴァレオをにらんだ。「入るわけないでしょ」

 ヴァレオは困ったような表情になる。「すみません。入ってもらわないと話が進まないので……」

 セイラはヴァレオの真剣な顔とトイレを見比べていたが、大きくため息をついて「わかったわよ」と一歩進んだ。

 二人はそのまま個室トイレの中に消えた。廊下にいた人たちはそれを見てまたヒソヒソ話しを始めていた。

 トイレの中に入った二人。セイラは明らかに警戒の姿勢で、ヴァレオから離れて立っている。

「ヴァレオ、あなたを信用して入ったけど、変なことをしたらその金玉をつぶすからね」

 セイラの恐ろしく険しい目つきに、ヴァレオは苦笑した。

「そんなことはしませんよ。チーフの武術の腕はわたしもよく存じておりますから」

「一体、こんなところで何をしようというの?」

「まずは、これを」

 そう言ってヴァレオはA4封筒をセイラに差し出した。その茶封筒は厳重に封緘されている。セイラは受け取って、封筒の端を破った。中には二枚の紙の書類が入っていた。

「局長からです」とヴァレオは付け加えた。セイラは書類を取り出して、書面をまじまじと見つめた。

「なによ、全部手書きじゃない。へたくそな字で読めたものじゃないわ」

 そう言いながらもセイラの瞳はみるみる輝きだした。「これは……」

「渡航許可書と作戦指示書です」

 ヴァレオは説明を始めた。

「局長によると、まともな手段では渡航許可は下りないそうです。そこで局長は一計を案じたわけですが、サイバー空間は火星政府――ガーゴイル社が支配しているので、計画がバレないように手書きで書いたそうですよ」

「なるほど、ここに呼び入れたのもそのためね?」

「ええ、監視カメラや集音マイクがないのはトイレくらいですからね。――わたしも局長にトイレに連れ込まれたときは、尻の穴が縮こまりましたよ」

 ヴァレオはそう言いながら片頬を上げて苦笑した。

「でもこんな手書きの渡航許可書なんか、なんの効力もないじゃない?」

 セイラは一枚を指でつまんで、目の前でひらひらと揺らした。ヴァレオは「まあそうですが」と言って説明を続ける。

「――確かに気休めにしかなりませんね。でもそれは、無許可の渡航が発覚したときに全ての責任を局長自身が負うという宣言だと思いますよ」

 セイラはその紙を両手で持ち直して、もう一度ミミズのはったような字を真剣な眼差しで眺めた。

「そういうことか……局長に借りができるわね」

「わたしもチーフに協力するように局長に言われています。この作戦指示に沿って全力でチーフと木村選手を地球に送り出します。ぜひ地球の様子をわれわれに伝えてください」

 ヴァレオの笑顔にセイラは「わかったわ」と親指をグイっと突き出してウインクした。

サンプルはここまでになります。

本編は現在出版準備中です!

今しばらくお待ちください。

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