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存在確率マイナス1(試し読み版)

by 三世留男

本作はエピソード4です。各エピソードは出版順に4、1、2、5、3、6とお読みいただけると、より一層お楽しみいただけると思います。

一.これは転生なのか?

   目覚め

「ここは……?」

 ゆっくり瞼《まぶた》を開けた青年の瞳には、壁のひび割れが映り込んでいた。彼は身じろぎせず、瞳だけを左右に動かした。自分の居る場所を確認しているように。そして理解したように目を大きく見開いた。彼は三畳ほどの牢獄のベッドに横たわっていたのだ。見開いた彼の瞳に映っていた灰色の壁は、その牢獄の天井だった。彼が仰向けに横たわる鉄パイプ製のベッドには、薄い綿の布団が敷かれていた。

 彼は仰向けのまま、二度三度と瞼を強く閉じ締めて再度目を見開いた。しかし瞳に映る景色は変わらない。その幼さの残る顔に、困惑と恐れが入り混じったような表情が浮かぶ。

 彼が身体を起こすと、額に付けられていた吸盤が小さな音を立てて外れた。吸盤には電極とコードがつながって、灰色の壁に開いた小さな穴から牢獄の外に伸びていた。

「ここは一体どこなんだ……」

 彼はまたつぶやいた。その瞳の端には格子窓の付いた分厚い扉が映っていた。

「カイン、出ろ、取り調べだ」

 その野太い声は廊下中に反響した。ベッドに腰を掛けて頭を抱えていた彼は、その声に頭をもたげて、声のした方――留置場の扉に顔を向けた。その扉の上部についた格子窓の向こう側から浅黒い顔が覗いている。彼はその苦虫を嚙みつぶしたように顔をしかめている男に|虚《うつ》ろな瞳を向けた。

「カイン……?」

 カインと声を掛けられた彼は、その名前に心当たりがないように瞳を泳がせていた。そこに浅黒くがっちりとした体格の男が扉を乱暴に開けて入ってきた。浅黒い男は、困惑した様子の彼にはお構いなしに、力なく宙にある彼の細い手首をつかんだ。浅黒い男の後ろから入ってきたのは青白い表情をしたスマートな青年だった。その青白い青年は、低く冷たい声を彼に浴びせた。

「お前のことだ。カイン」

 カインと呼ばれた彼を引っ張り出した男二人は、もと来た廊下を戻って行く。彼――カインは、男の分厚い手で引きずられながら、時折左右に顔を動かして自分がどこにいるのか、どこに連れていかれるのか知ろうとしているようだった。

 浅黒い男は取調室と書かれた分厚い扉を力をこめて引き開け、カインをその部屋の中に先に押し込んだ。男二人は彼に続いて部屋に入った。青白い青年が分厚い扉を勢いをつけて引っ張ると、気密がいいのか、鼓膜を押しつぶすような重い音をさせて扉が閉まった。

「座れ」

 浅黒い男は呆然と立つカインの肩を押して、ねずみ色のデスクの向こう側にあるパイプ椅子に座らせた。男二人は立ったまま腕組みをして、子犬のようにおびえた瞳を向けるカインを見下ろした。

「ここはどこなんですか? 一体、僕は……」

「まだ脳ユニットが混乱しているようですね。昨晩の『量子ゆらぎ感知器』の影響がまだ残っているのかもしれません」

 青白い青年は浅黒い男の耳元でささやいた。浅黒い男は眉を寄せて一通りカインを見まわすと、先ほどまでの乱暴な口調とはうってかわって、深呼吸するようにゆっくりと声を掛けた。

「おれはリック・タテカワ、後ろのこいつはリュウイチ・ヤマダだ。おれたちは刑事だ。いいかカイン、お前には持ち主のケイ・アイバを殺した容疑が掛かっている。その動機と殺害状況を話せ。どうせ時間はいっぱいある。ゆっくり思い出せばいい」

 カインは、浅黒い男――リックの話を聞いた途端、瞳に力が戻って頬が紅潮した。そして目を見開き、驚きの表情を作った。

「ちょ、ちょっと待ってください。誰が誰を殺したって言いました? 僕は、誰も殺してなんかいない。昨日まで、普通に自宅で寝てたのに、今朝起きたら突然、こんなところに連れてこられて。一体どういことなんです? 僕は、僕の名前はケイ・アイバです。僕は誰も殺してない!」

 カインが早口でまくし立てたうえから、青白い青年――リュウイチが表情を動かさずに説明をかぶせた。

「何を言っているんだ。きみの名前はカインだ。ケイ・アイバはきみが殺した人間だぞ。それにケイ・アイバは、登録上は八十五歳の老人だ。きみはまだ二十歳そこそこじゃないか」

 さらにリュウイチは説明を続ける。

「記録によると、きみはケイ・アイバによって五日前にフォース社から購入された。カインという名はそのときにケイによって付けられている。設定上は十九歳のようだな」

「僕が、僕がケイです。設定ってどういうことですか。確かに僕は十九歳ですけど、買われたって……そんな無茶苦茶なことあるわけないじゃないですか。本当にここはどこなんですか!」

 リックは大きくため息をついて、リュウイチに目配せをした。そして穏やかな調子でカインに話しかける。

「カイン、きみはレプリの自覚がなくなっているな。自分がレプリって教えられていないヤツもいるらしいが、きみもそうなのか? なら教えてやろう。きみはフォース社が作ったレプリカントだ。それも最新のドリーム3型だ。きみは人間じゃないんだよ。どうだ。思い当たる節がないか?」

 カインはリックを見つめたまま瞼を何度かパチクリとさせると、少しほっとしたように眉をゆるめた。

「わかりました。ドッキリですね。僕を引っかけようとしているんだ。なかなか真に迫っていましたよ。黒幕は誰です? そうか、きっと先生だ。マサキ教授で――」

――ドン!

「ふざけるな!」

 カインの言葉が終わる前にリックがデスクを両手で叩いて怒鳴った。鈍い音とともに埃《ほこり》が舞い上がる。薄白く面発光する天井に向かって埃が煙のように立ち昇っていく。その向こう側でカインは固まっていた。対照的にリュウイチは、眉毛を釣り上げているリックの横顔を見ながら初めて表情を緩め、薄い唇をゆがめてにやにやしていた。リックは視線を感じたように、リュウイチを一瞥した後、カインに向かってもう一度怒鳴った。

「人間が一人死んでんだ! お前が殺したケイは、取るに足らない放射能除去の作業員かもしれん。でもな、お前と違って人間なんだ!」

   夢じゃない

 リックとリュウイチは、呆然とした表情を浮かべるカインを黙って見下ろしていた。

 シンと静まる取調室の中は、薄暗い光に埃がキラキラと反射して漂っている。カインは自分の両手のひらを顔に近づけて、じっとその手の指紋を見つめた。そして、両手をゆっくりと顔に当て、指をギュッと瞼に押し付けた。

「夢じゃない。どうなってるんだ……」

 指の間からカインの押し殺した声が漏れた。

――ぎ・ぎ・ぎ・・・

 急に分厚い扉が開き始めた。カインは、瞼に押し当てている指の隙間から扉のほうを覗き見た。開ききった扉から、廊下の埃とともに空気が流れ込んでくる。その埃に乗って、陽だまりのような甘いにおいが漂ってきた。甘いにおいが鼻をくすぐるのと同時に、扉の向こうから白い女性が入ってきた。カインは、その瞳に真っ白な女性が映り込むと、顔から手をパッと離して目を見開いた。

「なんて重い扉なの。アーノルドに開けてもらうんだった」

 つぶやく白い女性に続いて筋肉質の男が入ってきた。その男は重い扉を片手でこともなげに、ドム、と閉めた。

 白い女性は、つやのあるシルバーの髪をうなじの上で丁寧に丸くまとめ、理知的な雰囲気を漂わせていた。襟を立てた白いシャツ、ひざ丈の白いスカートと白づくめの姿だった。シャツとスカートからのびる腕と足は、白い服よりもさらに透き通るように白かった。その白く冷たい表情を、緑がかった青色の瞳が和らげている。

 その彼女の後ろには険しい表情をサングラスで隠した短髪の男が立っている。その男の着る黒いスーツは、筋肉質の身体が想像できるくらい盛り上がっていた。

 入ってきた二人にリックとリュウイチは軽く頭を下げた。

「忙しいところ悪いね。さっき話した例のレプリはこの男だ。判定を頼む。それからそっちのあんたは何もんだ」

 リックは白い女性に話しかけた後、その後ろに立つ筋肉質の男に向かって言った。男は全く表情を崩さずリックに見向きもしない。そして男が答える代わりに女性が答えた。

「彼はわたしのボディーガードアンドロイドのアーノルドよ。アーノルドは思考プログラムを制限してあるから何も考えていないわ。わたしに危険がなければ何もしないわよ」

 リックは「そうか」と頷いた。

「この部屋の中はわたしとアーノルドだけにさせてもらうわ。坊やが委縮しないようにね」

「いいだろう。おれたちはオフィスで待機している。中の様子はモニターで監視しているから、終わったら合図してくれ」

「オーケー」

 扉近くで会話するリックと白い女性をカインは凝視していた。

 一通り会話が終わったところで、リックはカインに鋭い視線を向ける。そして白い女性ともう一度視線を合わせると、軽く会釈して踵《きびす》を返した。分厚い扉を体重を掛けて押し開け、リックとリュウイチは部屋から出て行った。

 扉が閉まったことを確認した女性は、ねずみ色のデスクを挟んでカインの前に座った。そして彼の顔を上から下までまじまじと眺めると、にこっと笑顔を向けた。

「はじめまして。わたしの名前は、サラ・マックイーン。サラって呼んで。それにしても地球ってどこも埃っぽいのね。やんなっちゃうわ」

 サラは目の前のカインの反応を量《はか》るように見つめた。

「わたしは三日前に火星から来たばかりなのよ。ほらさっきまで二人の刑事がいたでしょ。その若いほうの刑事はアンドロイドなの。その納品に来たのよ。納品したあと初期品質を保証するために一週間くらいは近くにいるのよ」

 サラは、目を見開いているカインを見つめて続けた。

「さて、あなたはなぜここにいるのか教えてくれるかしら?」

 カインはサラから目線を外してうつむいた。そしてそのまま、ねずみ色のデスクを見つめて話し始めた。

「わからない……。昨日、自分の部屋で寝たのに、起きたら牢獄で、ここに連れてこられたんです。しかも、僕は殺人犯で、殺した相手は僕だった。しかも僕は人間じゃないレプリだって。レプリってなんのことですか? もうわけがわからない……」

 サラはうつむいたカインの顔を下から覗き込むようなしぐさをして、「ふーん」とつぶやいた。

「それじゃあ、まずあなたのことを教えてくれる?」

「はい。僕の名前はケイイチロー・アイバ。みんなはケイと呼びます。二〇〇〇年一月二十一日生まれの十九歳です。兄弟はいません。今は愛知県名古屋市○○区に住んでいて、そこから名古屋大学理学部に通っています。趣味は……」

「ちょ、ちょっと待って」

 サラはカインの自己紹介を遮って、頭をぶんぶんと振った。

「相当混乱しているようね。いい。今は二〇八五年よ。二〇一九年じゃないわ。それに地球にはもう大学は一つもないはずよ。大学は火星にしかないの」

 カインは、うつむいたまま手で頭を抱えた。

「二〇八五年ってどういうことですか……それに火星って……」

 サラは深いため息をついた。

「あなたの置かれた状況を説明するわね。あなたはレプリカントという人造人間なのよ。人間じゃないわ。刑事さんに聞いた話だと、昨日、持ち主を殺したみたいね。それで、自分で通報して自首したって。思い当たる?」

 カインは力なく首を振った。

「昨日ここに連れてこられたあなたは意識がなかったみたいよ。それでそのまま留置場に入れられたってわけ」

「僕はどうなるんですか? やってもいないことで裁判になるんですか」

「いいえ。かわいそうだけど、罪を犯したアンドロイドやレプリカントは即日処分されることになっているわ」

「そんな……」

 カインの顔が額から徐々に青白くなった。

「でもね、あなたがまだここで取り調べられているってことは、まだ気になるところがあるのよ。わたしがここに来たのも同じ理由」

   現場の状況

 サラにカインの尋問を要請したリックは、重い扉を開けて廊下に出てきた。続いて出てきたリュウイチは、扉が閉まったことを確認してからリックに話しかけた。

「さすがです。やさしくしておいてから怒鳴る、緩急をつけた尋問でした。参考になります。レプリカントの彼も驚いていましたね」

「ふん。お前も前任の記憶を全て引き継いできたんだろ。なら珍しいことじゃないはずだ。お前が三体目のアンディーだが、おべんちゃらを言うのはお前だけだ。そこが一番気に食わん」

「わたしが最新型だからです――まだプロトタイプですが、より人間に近いんですよ。それから、アンディーというのは蔑称ですからアンドロイドとお呼びください」

 リックは「ふん」と鼻を鳴らした。

「アンディーとかレプリっていうのは愛称だ。いちいちアンドロイド、レプリカントって長ったらしい言葉を言ってられないからな」

 リックは廊下に踵を向け、そして二、三歩進んでから、思い出したようにリュウイチに振り返った。

「ケイ・アイバの遺体はどうなってる?」

「昨日こちらに運び込まれてから、まだ検死待ちです」

「なぜそんなに時間がかかる?」

「検死ロボットが故障中のようですね」

 リックはその答えを聞くとブツブツつぶやいた。

「またか……。だから検死ロボの台数を増やせっていつも言ってんだ。そのくせ、金がないとか言ってるくせにお前のように高いアンディーを買うんだからな」

 リュウイチは何か言おうと口を動かしかけたが、言葉を出さなかった。そして一瞬の沈黙の後、リックは顎をなでながら尋ねた。

「リュウイチ、昨日ケイ・アイバの遺体を見てどう思った?」

 リュウイチはその問いによどみなく即答する。

「はい。ケイ・アイバの首には赤いあざがありましたから、死因はおそらく首を絞められたことによる窒息死でしょう。首を絞めるのに使ったのは、椅子の近くに落ちていた茶色のベルトと思われます。ケイには争った跡も苦しんだ様子も見られませんでしたね。状況からは、顔見知りによる犯行といえます。安楽椅子で休憩、もしかしたらうたた寝をしていたケイを、後ろから首を絞めて殺したのでしょう。そしてカインが警察に通報してきています。我々が到着した時には、カインは茫然自失《カタレプシー》状態でケイの傍らに立ったままでした。脳ユニットが暴走したときの状態です。こういうときは脳ユニットを休ませる必要があります」

「うむ。おれも同じように思ったが、おれが気になる点はそこじゃない。お前さっき、ケイ・アイバは八十五歳だと言ったな」

「ええ。在地球登録ではそうなっていますね」

「ケイは、ひどい放射能やけとヒゲで年齢がわかりずらかったが、どうみても八十五歳には見えなかった。おれは、てっきりケイは五十歳くらいだと思っていた。おかしくないか? そもそも八十五歳が放射能除去のきつい作業ができるのか」

「なるほど、そのように推論するんですね。アンドロイドは人間より推論が得意なのですが、先輩の推論は参考になります」

「とにかく、ケイ・アイバのことを調べなければ……何かにおうんだよ。それに――」

 リックは言葉の最後を言いよどんだが、リュウイチは特に気にする様子もなく「カインのことですね」と付け加えた。

   未来の世界

 一方、取調室では。

 血の気が引いて白い表情のカインは、思いつめたように瞳を泳がせていた。サラは自分の言っていることを聞いていないようなカインの様子をじっと見つめていた。

「どうも本当に記憶がおかしくなっているようね。いいわ。まだ時間もあるし、わたしも暇を持て余しているから、あなたの覚えている二〇一九年から今日まで何があったのか歴史の勉強をしましょうか」

 サラは左の手首にはめている白いバンドに右手を重ねると、デスクの上に青白く光る小さな妖精が現れた。カインは、目を瞬《しばた》かせてその半透明の妖精を凝視した。妖精はカインのほうを向くと、びっくりしたように背中の翅《はね》をバタバタと羽ばたかせてサラに助けを求めた。

「この人はだれ? わたしをにらみつけてるけど」

「彼はカイン。レプリカントよ。カイン、彼女は情報処理専門のアンドロイド。この手首のバンドを触って呼び出すと、こんなふうにファントム映像で出てくる」

「はじめまして。わたしはティンク。よろしくね」

 ティンクはカインに向かって、透き通る小さな身体を折り曲げてあいさつした。

「ティンク、彼に二〇一九年から今日までの出来事を教えてあげて。彼、どうやら記憶がおかしくなっているようなのね。もしかしたら何か思い出すかもしれないから」

「そういうことね。歴史はわたしの得意分野よ。任しておいて。どこからいきましょうか? うーん、そうね。大きな出来事から並べましょう」

 ティンクは空中に浮き上がって細い腕を振った。薄暗い取調室の中をキラキラと星が舞う。すると急に真っ暗になった。カインはびっくりしたように、がたっと椅子を鳴らした。真っ暗な中、蝶のような翅を羽ばたかせたティンクの青白い姿が宙に浮いている。

「まずは二〇一九年のこの周辺、昔は愛知県名古屋市だったところを出すわね」

 暗闇がパッと急に明るくなったと思うと、サラとカインは灰色のデスクをはさんでスクランブル交差点の中心に座っていた。青空の中で、スーツを着た男性がせかせかと歩いてくる。後ろからは若いカップルが手をつないで楽しそうに話しながら近づいてくる。大勢の人々がそれぞれの目的に向かって歩いていく。そのせわしない足音が四方八方から聞こえてきた。まさに現実のような世界。カインは慌てたように立ち上がり、周囲をキョロキョロと見まわした。

「ここは! うちの近所です! も、もう帰っていいですか!」

 サラも立ち上がってカインの肩に手を掛けると、彼の耳元に口を近づけてささやいた。

「落ち着いて座って。これはただの映像よ。あなたは部屋の中で過去の映像を見ているの」

 その吐息がカインの耳の産毛をくすぐると、彼は我に返ったように、椅子にガタンと座りこんだ。

「ティンク、続けて」

 ティンクは翅をはためかせながらゆっくり頷いた。

「二〇一九年、所々で紛争はありましたが、このころは地球の歴史上でも平和な時期が長く続いた時代でした。しかし終わりの始まりは二〇二四年に訪れました」

 雑踏の中だった周囲が、今度は真っ赤な旗が全体に揺らぐ場面に切り替わった。

「投資の過熱していた中国で経済バブルが崩壊しました。それと同時に中国内は十以上の自治区に分裂し内戦状態となりました。この状況に、経済ネットワークを支配していた投資AIが過剰反応して世界中の株価が大暴落し、世界恐慌に突入しました」

 周囲は真っ赤な旗から砂漠に切り替わる。カインは銃撃戦のさ中に放り込まれた。

「この世界恐慌の影響で原油価格も暴落しました。すると、もともと宗教紛争が多かった中東で大規模な戦争が勃発しました。中東は全面戦争の状態になり、しだいにその戦火は、中国、欧州、ロシアに広がりました。そして二〇三五年、欧州全体を支配下に置いたイスラム戦線は、ついにアメリカに宣戦布告します。第三次世界大戦の始まりです」

 今度は、宇宙空間から地球を眺める場面に変わった。

「この戦争は長く続きました。このころにはAIの開発が進展していて、戦場はロボット兵器だけになり人間の兵士はいなくなりました。そのため、戦争はいつまでも終わりませんでした。人間が殺されないのですから。その状況に業を煮やしたアメリカは、とうとう核ミサイル発射の決断を下します。二〇四九年です」

 地球の各地にきのこ雲が上がる。

「アメリカが発射した核ミサイルに反応した各地のAIが、反撃・自衛のため、同じように核ミサイルを発射しました。そして地球全土は核の炎に包まれたのです。戦争はあっという間に終わりましたが、人間の数は数十分の一以下に減りました。地球は人間が住めない星になったのです」

 ズームアウトするように地球から別の星の映像に切り替わる。

「この状況を予想していた超富裕層の人々は、極秘裏に地球から火星への脱出計画を進めていました。この技術開発を担ったのが、ロボットメーカーの最大手であるガーゴイル社です。ガーゴイル社は多くのヒト型アンドロイドを火星に送り込みました。このアンドロイドがフロンテッジ3型になります。そして間一髪で、一部の人々は地球が放射能まみれになる前に火星に移住できたのです」

 機械の身体をもつアンドロイド――フロンテッジ3型によって、火星の赤い土地に背の高い未来的な建物が建てられていく様子が映された。最初の寂しげだった火星の都市は、瞬く間に広がって、ついにはニューヨークの摩天楼にも負けない風景となった。火星の地表が目まぐるしく開拓される様子を、カインはぐるっと見回しながら息をのむように凝視していた。

 火星の夜景から急に変わって、草木が枯れ果てた山野と薄茶色の海が目の前に広がった。カインは、その場面の砂っぽさ、埃っぽさを感じせき込んだ。吸い込んだ埃は取調室に舞っているものだったが、まぎれもない地球のものだった。

 目の前には、まるで宇宙服のような全身を覆う白い服を着て、潜水ヘルメットのようなものをスッポリかぶった人々がいた。彼らが重機を使って土を集めている様子が映し出された。ヘルメットの中の人々の顔には、みな疲れ切ったような表情を浮かべていた。

「地表のほとんどは放射能に侵されました。放射能にかろうじて適応できた人間は生き残ることができましたが、それでも強い放射能が残る場所では鉛を織り込んだ防護服を着なければすぐに死んでしまいます。今わたしたちがいるこの建物も、放射能から厳重に遮断されたエリアになります」

 ティンクが話し続ける。

「地球に残された人々は、地球の壊滅後すぐに建国された火星の統一政府の支援を受けながら自治組織を作りました。そして放射能の影響が軽微な場所に住みながら、放射能汚染のひどい場所の除染を始めました。二〇五〇年代のことです。しかし、除染は遅々として進みませんでした。これは終わりの見えない作業に精神が保てないことが原因でした」

 座り込んでいるカインのわきに立って彼の様子を見つめていたサラが、彼の肩に手をのせた。カインはその温かい手を感じてサラの顔を見上げた。サラはその顔を微笑ませて言った。

「そこで、あなたたちの出番になったのよ」

   アンディーとレプリ

 ティンクは、サラの言葉を引き継いで続けた。

「二〇六三年、地球でフォース社というロボットメーカーがドリーム1型という人造人間を作り出しました。フォース社は、ドリーム1型をアンドロイドとは呼ばずにレプリカントと呼びました。ガーゴイル社のアンドロイドであるフロンテッジシリーズに比べ、ドリーム1型は安価で寿命も長いという特徴がありました」

 ティンクは小声で続けた。

「ただ、ドリームはフロンテッジに比べて知能が低く、人間なみの知能しかありませんでした」

 サラがフォローするように口を挟んだ。

「仕方ないわ。安いんですもの。だけど、作業員としては立派に務まるのよ」

 ティンクは「そうね」と相槌を打った。

 周りで作業をしていた防護服を着た人々が消え、防護服を着ずに普通の作業着を着た人々に置き換わっていく。

「ドリーム1型は放射能除去作業に投入されました」

 カインはまたキョロキョロと見回して、初めて口を開いた。

「なんで彼らは防護服を着ていないんですか? 放射能はなくなったんですか?」

 ティンクはかわいそうにといった顔を浮かべて答えた。

「レプリカントは防護服より安いのよ。放射能で多少寿命が縮まっても問題ないのね。だから防護服は着ないで作業しているのよ」

「ひどい……奴隷じゃないか! 彼らは人間だぞ!」

 カインは声をひねりだすようにうめいた。顔を覆ったカインの傍らでサラは、哀しそうな表情を作って彼を見つめた。

「レプリカントに同情したのね。でも大丈夫。彼らは機械よ。何の感情も持っていない。感情があるように思えるのはそうプログラムされているから。あなたも同じ。同情している感情はプログラムされたものよ。だから心配しないで」

 カインは顔を上げて眉間にきつくしわを寄せる。

「な、な、なにを言っているんだ!」

 そしてこぶしを握ってデスクをドンと叩き、立ち上がろうとした。その様子に反応したアーノルドが一歩前に出た。サラはカインの肩に置いた手にぐっと力を入れてカインを制止すると、アーノルドに向いて「大丈夫」と口だけ動かした。

「ショックよね。でもこれが地球の歴史なの。何か思い出したかしら?」

 カインは椅子に力なくもたれかかったまま首を振った。

「ティンク、次はアンドロイドとレプリカントのことを教えてあげて」

「了解!」

 ティンクが腕を振ると、周囲は白衣を着た男性・女性が行きかう明るい廊下の場面に変わった。

「火星のガーゴイル社研究棟の今の様子です」

 サラの瞳が輝いた。

「あら、わたしもここで働いでいるのよ」

「ここでアンドロイドが開発されています。アンドロイドといっても、わたしのように人工知能のみで実体を持たないものから、フロンテッジシリーズのような人造人間もあります。変わったところでは、動物ロボット・虫ロボットなども作っているんですよ。ガーゴイル社はアンドロイド製造最大手として火星に本社を置いて、フロンテッジ型アンドロイドを火星の労働力や地球の知的労働力として出荷しています。そのフロンテッジの最新モデルは8型になります」

 男性と女性が立ち姿で現れた。ターンテーブル上で回るように、二人はゆっくりその場で回った。

「彼らは外観上は人間と区別ができません。フロンテッジ6型までは『フォークト=カンプフ感情移入度《エンパシー》検査法』で人間とアンドロイドを判別できましたが、フロンテッジ7型からは判別できなくなりました。そこで、『サンゼ=ルマン式夢波形検査法』という夢見中のアンドロイドの夢波形を人間と比較する検査方法が開発されました。人間の脳が見せる夢とアンドロイドの脳ユニットが発生させる夢は異なることで判別するものです。この検査法はレプリカントにも有効になっています」

 フロンテッジ8型アンドロイドの映像に向かって反対側に、もう一対の男性と女性の像が現れた。

「彼らはフォース社のドリーム型レプリカントです。フォース社は地球に本社と製造拠点があるようですが、その実態はわかっていません。ガーゴイル社のフロンテッジ型は五年程度で寿命が尽きるのに対し、フォース社のドリームは何らメンテナンスしなくても五年以上の寿命を実現していることが最大の特徴になります。また価格もフロンテッジの二〇分の一以下と安価で、地球の労働力として急速に普及しました。ただ、貧弱な脳ユニットによって知能が人間並みという欠点がありました」

 サラはティンクの言葉に続けて話した。

「わたしたちガーゴイル社では、フォース社のドリーム型レプリカントを分解して、なぜそんなに安く・大量に製造できるのか調査しているんだけど、よくわからないのよ。ドリーム型の脳ユニットは貧弱な電子回路なのは間違いない。でもそれ以外の身体構造は、わたしたちのフロンテッジ型よりもよくできている。ほとんど人間と区別がつかない身体を実現しているのよ」

 ティンクは頷きながら続けた。

「ガーゴイル社のフロンテッジ型は、強力な脳ユニットを搭載し、ガーゴイル社の中枢である中央コンピュータネットワーク『エンタングルメント』に常時接続しています。フロンテッジ型はアンドロイド同士の最新情報をリアルタイムに共有・学習することで人間を大幅に超える知能を獲得しているのです。しかしドリーム型の脳ユニットは、分解した結果、フロンテッジ3型に使われた旧型と同レベルの電子回路でした。ネットワークもどこにつながっているのかよくわかっていません。ただ身体構造は、フロンテッジ型のように、培養した腕や足などのパーツを繋ぎ合わせたものではなく、全身培養で作られたと考えられています。これはガーゴイル社にはない技術です」

 サラは右手でカインの後ろ側の首を下からゆっくり撫でた。不意に触られたカインは背筋をビクンと伸ばした。

「あなたのここにも脳ユニットが埋まっているの。あなたが寝ている間にさっきの刑事さんが皮膚の上から確認したそうよ。でも不思議なのは、脳ユニットを埋め込んだ形跡がないこと。普通のレプリカントはここに埋め込んだときの傷跡が残っているんだけど」

 サラはカインのうなじの生え際を何度か撫でた。

「ドリーム3型だからかしら。ガーゴイル社でも3型はまだ未調査なの。わたしも初めて見るわ」

 サラはカインのうなじを撫でながら腰をかがめると、人形のように美しく整った顔を彼の顔の間近に寄せてまじまじと見つめた。カインは頬を赤くしてのけぞった。

 周囲を彩っていた映像がパッと消えて、また灰色のコンクリートむき出しの殺風景な取調室に戻った。サラは、「ありがと、ティンク」と、左の手首を右手で触った。ティンクはカインに、バイバイと手を小さく振ってプツンと消えた。

 元の静寂に戻った。サラはカインの肩に置いていた左手を離すと、元の座っていたところに戻った。

「さぁ、どうかしら。何か思い出した?」

「なんで僕はすぐに処分されないんですか?」

 カインはサラの問いに問いで返した。サラは、どう答えようかと首をかしげて口をつぐんだ。

「……そうね、アンドロイドやレプリカントが殺人を犯すのはすごく珍しいのよ。恥ずかしい話、かつてのフロンテッジ6型は脳ユニットが暴走して人殺しをすることもあったわ。でも最近のアンドロイドは、そんなことができないように細心の注意を払ってプログラムされている。わたしが知る限り――過失事故を除けば、アンドロイドやレプリカントの殺人は今まで一件もない。人間は人間を殺すしアンドロイドもレプリカントも殺すけど、その逆は、最近は全くなかった。答えになっているかしら」

「なっていません」

 カインは強い口調で返した。

「なかなか優秀ね。いいわ、教えてあげる。ショックを受けないでね。あなたが留置場で眠っているあいだに、さっきの刑事さんがあなたに『サンゼ=ルマン式夢波形検査』をやったのよ。これはやる決まりになってるみたいね。でね、あなたは登録上はドリーム3型レプリカントで、頭の後ろに確かに脳ユニットが埋め込まれている。でも、夢波形検査では、あなたは人間と判定されたのよ」

 カインは絶句し、また紅潮した。

「困った刑事さんは、たまたま近くにいたアンドロイド専門家のわたしに判定を頼んできたってわけ」

サンプルはここまでになります。

続きは購入してお楽しみください。

イラスト 己時クナイ

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